「外部の知らない第三者に譲るより、いま一緒に働いている副院長に継いでもらえたら一番きれいなのに」。動物病院の事業承継では、そう考える院長先生は少なくありません。勤務医の方からしても、「この病院を自分が引き継げたら理想的だな」と感じたこともあるのではないでしょうか。実際、このような相談はXM&Aでも年々増えてきています。しかし、何から決めればよいのか分からず、話が前に進まないこともよくあります。そもそも切り出すだけでも相当な勇気が要りますよね。XM&Aでは、数ある事業承継の方法の中でも、副院長や勤務医に売却する「従業員承継」は、最も相性の良い方法だと考えています。できればこれが普通になって欲しいとすら個人的には思っています。しかーし、相性がよいことと、簡単であることは別です。むしろ、身近な関係だからこそ、価格や立場、期待値のズレが表に出にくく、あとで揉めやすい側面もあります。この記事では、動物病院における「従業員承継」について解説します。特に、仲介者を使わずに当事者同士で進めていく際の参考にしてくださいね。従業員承継とは何かそもそも事業承継には3つのパターンがあるとされています。親族内承継従業員承継第三者承継(M&Aともいう)従業員承継とは、いま病院で働いている副院長や勤務医といった内部人材が、院長から病院を引き継ぐ方法です。単純に役職を引き継ぐのではなく、従業員である勤務医(獣医師だけとは限らないですが)が新たなオーナーとなります。第三者承継の一種ですが、外部の買い手ではなく、院内を理解し顧客や関係者ともすでに接点がある従業員が承継する点に特徴があります。院長側からすると、「すでに診療を回しているこの先生なら任せられる」、「スタッフにとっても一番安心できるだろう」と感じやすい承継です。勤務医側からしても、長年勤務する病院で、気心が知れたスタッフと慣れた土地で病院を経営することは、将来の想像がしやすい安心できる承継です。M&A(第三者承継)の一番の壁は「地続きの経営ができづらい」ことだと考えています。一方、従業員承継は、ほぼ完全な地続きの診療が築けることが、理想的な承継と考えている所以です。もちろん、経営数値だけでなく関係者の心理面としてもシームレスですよね。でもよくあるのは、心の中では「いつかこの先生に」と思っているのに、相手には一度も正式に話していないケースです。一方で勤務医も、「継ぎたい気持ちはあるが、給料の話すら遠慮するのに、承継の話なんて切り出せない」と考えています。お互いに気持ちはあるのに、誰も言語化していない。これは、あるあるです。そのうち勤務医は転職したり開業したりで外に出てしまう。実はこうしたケースは意外に多く、なんだか「好きと言い出せないまま卒業してしまった中学生の淡い恋心」のようですね。相手に承継を相談するときのおすすめ文言承継を考えていることを相手に伝えなければ、実現はできません。ではどうするか。言い出すには相当な勇気が必要ですし、想像だにしない金額を言われた時に断りにくくなるのも不本意です。だったら、こんな切り出し方はどうでしょう?院長が、勤務医に相談する時前から一度聞いてみたかったのだけれど、この病院を将来的に君が引き継ぐということに興味はあるかなこの病院を今後どう残していくかを考えたときに、君に引き継いでもらうことも選択肢として考えているのだけれど、率直にどう思うかな将来的にこの病院を外に譲るのではなく、院内の人間に引き継ぐことも考えていて、君にその気持ちがあるか聞いてみたいんだ勤務医が、院長に相談する時もし将来的に事業承継をお考えであれば、私に引き継がせることも選択肢としてありますでしょうか将来的にこの病院をどなたかに承継されるお考えがあるなら、私にもその可能性があるのか伺ってみたいですいつか、この病院を承継されるおつもりなら、私を候補の一人として見ていただけるでしょうか「可能性はない」の答えが返ってくるとショックですが、お互いの人生ですから、訊かずに不透明な時間が流れるより、返事がYesでもNoでも今から次の設計をする方が合理的です。ここも婚期が迫る男女と同じようなものですね。従業員承継のメリット院長にとってのメリット最大のメリットは、診療の文化(カルチャー)や病院の空気を引き継ぎやすいことです。外部の買い手に譲る場合、診療方針や人の使い方、飼い主さまとの距離感が大きく変わることがあります。しかし、すでに病院に勤めている勤務医であれば、院長が大事にしてきたやり方を熟知していますから、承継後の変化は少ないはずです。スタッフや飼い主さまにとっては安心して通い続けられるはずです。勤務医にとってのメリット事業承継は、新規開業に比べてローリスクとはいえ、全く知らない病院を承継することと、今の病院を受け継ぐことは大きな違いがあります。地続きの診療がしやすく、現状の経営状態の再現性が高いからです。経営状態の再現性が高いことは何よりも重要です。事業承継の最大のメリットは、過去の経営状態を引き継ぎやすいことですから、高い再現性があることはリスクが低いこととイコールです。その他の関係者にとってのメリットスタッフにとっても、これまで関係性のない新しい院長と一緒に働くよりも、前から一緒に働く勤務医と一緒の方がずっと安心です。飼い主さまにとっても、以前から顔を知っている先生が院長になることは安心感が高いですし、応援したくなる方だっています。さらに、銀行にとっても安心感があります。副院長などのキーパーソンが院長となり診療・経営していくことは、返済が滞るリスクが抑えられるからです。従業員承継のデメリット近すぎる関係が、かえって話しにくさを生む従業員承継の弱点は、人間関係が近いことです。第三者相手ならズバッと確認できることも、院長と勤務医の関係だと遠慮が働きます。たとえば、勤務医は「そんな金額では買えません」と言いにくい。院長は「その条件なら譲れません」と言いにくい。結果として、曖昧なまま時間だけが過ぎ、どこかの時点でたち消えになったり、揉めたりすることもあります。価格の見方がずれやすい院長には、院長だけしか知らない苦労(長年の地域との信用構築・スタッフ教育・経理・経営周りetc)があります。この苦労や今後のライフプランを含めて希望の譲渡額を考えます。勤務医は、そのような苦労があることは推察しつつも、自分もこの病院の売上の一端を担ってきた自信と自負があります。そんな過去の自分の頑張りも譲渡額に含まれてしまうことにジレンマを感じる部分が出てきます。どちらも間違っていません。見ている景色が違うだけです。このズレを当事者だけで埋めようとすると、「そんなに安く見ていたのか」「そんな金額では人生が成り立たない」という、結構しんどい会話になります。院長側が優位にたって話が進むこともどうしてもこれまでの関係性から、目上である院長との直接的な交渉となると立場が弱くなりがちです。勤務医にとっては、難しさを感じる最大のポイントがここです。後述しますが、事業承継はビジネスですから、通常の立場・関係とは切り離して協議することが大切です。従業員承継で壁になりやすいポイント5選従業員への承継でつまづきやすいポイントを解説します。逆に言えば、これをクリアすれば、かなり前向きに進めることができるようになります。1. そもそも本気度が確認できていない「いつか継いでくれたらいいな」と「本当に承継するつもりがある」は別物です。院長の期待だけが先行し、勤務医はそこまで考えていなかった、というのはかなりよくあります。まず必要なのは、夢の話ではなく、承継意思の確認です。先述した「相手に相談する時のおすすめ文言」も参考にして、まずは相手の考えやビジョンを聞いてみましょう。2. 譲渡額の目線がいつまでも合わないもっとも揉めやすいのはお金の話です。事業承継は、形のない「経営権」を扱います。だからこそ、どちらかの希望額は、相手にとって高いか低いのが常。「ものさし」となる評価軸がなければ、議論がデッドロック(にっちもさっちも行かないこと)になります。「ものさし」は、一般的には第三者による評価を用います。身近なのは、税理士やメインバンクの銀行による評価です。ですが、税理士や銀行は動物病院M&Aの専門家ではないため、結構一般論からズレた金額になっていることも多いです。基本的に仲介者を活用しない場合は、双方でそれぞれ別の専門家に相談するのが望ましいですが、依頼された相手方(と自社)にとって良い価額が提示されやすく、結局はすり合わせが必要になっていきます。3. 引継ぎ後の院長の関わり方が曖昧承継後に院長が週何日働くのか。その対価はどのくらいなのか雇用なのか業務委託なのか診療も手術も行うのかスタッフ指導といった診療以外のタスクも担うのかこのあたりが曖昧だと、プロジェクトの進行がやりづらくなります。承継後にどのようなかかわりをしていくのかは事前にしっかり定めておきましょう。あとは、「譲ってもらったはずなのに、意思決定はまだ前院長」という状態は、内部承継で起こりがちです。権限移譲の線引きも意識して設計してください。4. 承継相談期間中のギクシャク同じ場所で毎日働く院長と勤務医が、別の場所では条件交渉を行うことになります。お互いがこうした議論や交渉に慣れていたり、双方の目線が大方揃っていたらうまくやれるのですが、ほとんどの場合、ギクシャクします。このギクシャク、思いの外ツラいそうです。仲介を入れずに当事者同士で協議することを「相対(あいたい)」と言いますが、相対の場合、ほとんどこのギクシャクが生じます。関係ないですが、院長と奥さん昨日夫婦げんかしたんだろうなぁと感じることありますよね。あんな感じです。そこに上下関係があると、特に勤務医側はモヤるようです。5. 事業譲渡契約書が作れない親しい間柄であっても、大きな金額が動くビジネスですから、契約書はマストです。しかし、事業承継の契約書を作ったことがある獣医師はそういないでしょう。しかも、事前に想定して取り決めておくべき膨大な条項があります。そうした取り決めなく、「よくわからないからシンプルな契約書だけでいいよね」は、後々の大きなトラブルに繋がります。例えば譲渡対象の財産はどこからどこまでか(家主が院長の場合)エアコンや給湯器などの付属物が壊れた時は、どちらが負担するか買主が知らされていない労働問題・顧客との紛争トラブルや、経営状態の大きな変化はないか。あった場合はどちらがどう対処するか損害賠償の範囲や期間の取り決めはされているかなどなど、譲渡契約書では絶対に盛り込んでおくべき条項はたくさんあります。最近ではAIでも契約書の雛形を書いてくれたりしますので、どうしても弁護士に相談することができない場合などは、AIの助けを借りる手もあります(ただし、結構ずさんな書き方をしてくるので、おすすめはできません)。従業員承継をうまく進めるための考え方対等な立場で。これまでの使役関係を持ち込まない従業員承継では、どうしても現経営者の方が力を持ちやすいです。元々の立場の違い(雇用者と被雇用者)がありますから。だからこそ、院長側も勤務医側も、これまでの関係性の違いを事業承継プロジェクトに持ち込んではいけません。院長は、診療における上下関係は完全に忘れて、一人のビジネスパーソンとの協議と割り切ってください。同じ目線で、相手を尊重する気持ちが大事です。勤務医も、相手が上司であることは完全に忘れてください。これは、診療の話ではなくあなたの人生がかかった「ビジネス」の話です。少なくとも事業承継の協議をしている最中は、お互い対等でフェアな間柄でいてください。交渉ではなく「協議」と位置付ける「交渉」は、自分にとって良い条件で妥結させるためのプロセスです。「協議」は、このプロジェクトにとって最適な解決策を探るためのプロセスです。交渉だけで物事を見てしまうと、従業員承継はうまくいきません。お互いにとって成功させたいプロジェクトであることを常に念頭に起き、ゴールから逆算した「協議」を心がけましょう。できれば専門家を入れるお互いに事業承継に関しては未経験の中で、何から始めて何をどう決めれば良いかわからないことが多分に出てくるはずです。契約のこと、お金のこと、従業員のこと、法律のことなど、客観的にアドバイスしてくれる専門家に相談しながら進めることが望ましいです。XM&Aでは、従業員への承継、勤務先の院長からの承継についてもサポートしています。予め相手が決まっているので、手数料のご負担を抑えたプランもあります。まとめ副院長や勤務医への従業員承継は、動物病院の事業承継の中でも、うまくいけば非常に美しい形です。しかし、身近な間柄だからこそ難しさも生じます。当事者同士で実現できればベストですが、難しいことにも多く直面します。仲介を入れずに相対(あいたい)で承継を実現する場合には、この記事をぜひ参考にしてくださいね!XM&Aへのご相談も承っております。ぜひご相談ください。この記事を書いたライター小川篤志(獣医師)東京都出身 日本獣医生命科学大学 獣医学部卒業後、宮崎犬猫総合病院 院長、TRVA夜間救急動物医療センター副院長として臨床経験を積む。ビジネスサイドに転向後、東証一部上場企業の経営企画部長に就任。新規事業、経営管理、PR / IR、ブランディング、マーケティングを統括。日本初のペット産業特化型ベンチャーキャピタルCEO、海外動物病院法人CEO等を歴任。FASAVA(アジア小動物獣医師会学会)日本支部 理事、ITスタートアップの経営企画担当を経て、XM&Aを創業。主な功績、受賞歴COVID-19感染者のペットを預かる「#stayanicomプロジェクト」の企画・統括・責任者(環境大臣 表彰)熊本大震災 ペット災害支援(熊本県知事 表彰)、西日本大豪雨ペット災害支援日本初のチャットボットを活用した保険オペレーションシステムの構築Web Media「猫との暮らし大百科(web media)」を創設。編集長に就任し、月間100万PV超のメディアに成長上場企業 / スタートアップ合わせ総額50億円超の資金調達を主導<その他現任> 公益社団法人 東京都獣医師会 理事、学校法人 ヤマザキ学園 講師facebook、Podcast